2015.02.12

気仙沼勝手に応援団 vol.15~居酒屋 楽笑 本店~

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仙台駅からJR仙石線で3駅、陸前原ノ町駅ロータリーのすぐ目の前に店を構えるのが「居酒屋 楽笑 本店」だ。
「どうもー!」と出迎えてくれたのは、笑顔も体もビッグな店主 村上長生(ひさお)さん、気仙沼市古町出身の36歳 独身。
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野球少年だった村上さんは小中学校と野球部員として大活躍。その後、岩手の名門 盛岡中央高校に野球特待生として入学。夢だった甲子園出場こそ叶わなかったが、チームの中心メンバーとしてベスト4という成績をおさめた。
高校卒業後は仙台で車部品会社の営業職につき人脈を広げた。
飲食業をはじめたのは25歳の時。野球部で培われたド根性と揺るぎない向上心で、わずか4年後に独立。みんなが楽しく笑い合える場所にしたいと、わが城に「楽笑」という名をつけた。

お店も人生も軌道にのりはじめてきた2011年3月、震災が起きた。
まっ先にふるさと気仙沼に住む親類や友人の安否を案じたが、仙台もライフラインが全てストップ、町中がパニックだった。その夜、不安と恐怖にかられたご近所さんや常連客30名がどこからともなく店に集まりだした。
店にはカセットコンロも食料もある。今自分にできることはただひとつしかない!その夜からお店を一般開放し炊き出しをはじめた。
すると次の日からご近所さんや近くのスーパー、小売店の方々が次々とお店に食料や必要物資を運んでくるようになった。「みんなで分け合って生きよう」まさに地域一丸、助け合いの日々だった。

そんな矢先、自宅が被災し避難所に身を寄せている気仙沼の幼なじみから5文字のメールが入った。
「 生 き て て ね 」
その文字を見た瞬間、涙がとまらなくなった。そっちの方が何百倍も大変なのに何で俺なんかの心配してんだよ!
今会いに行かなきゃいけない。そう思い車いっぱいに荷物を詰め込み、友人4人で気仙沼へ出発した。3月16日のことだった。

6時間かけてやっとのことで到着したふるさと。頭では理解していたはずの被災状況だったが実際に現場を見た時、血が逆流するような感覚に襲われた。いてもたってもいられず、気がつくと一心不乱に炊き出しをはじめていた。今自分にできることはこれしかない。その日から時間を見つけてはふるさとに足を運び、炊き出しをつづけた。例え一瞬でも心があったまる瞬間を届けたい、その一心だけだった。

1ヶ月半が過ぎ、自腹で続けていた炊き出しで貯金も底をつき、店を続ける意味も見出せなくなった時、常連さんのひとりに渇を入れられた。「この店がなくなったら、どこでみんなと笑えばいいんだ!店を続けてほしい!」ハッと我に返る瞬間だった。
後日、常連客のみなさんが声がけし「少しだけど」と再開祝いを持ってきてくれた。涙がとまらなかった。

あの日からもうすぐ4年。
居酒屋楽笑は相変わらず多くのお客さんの笑顔で溢れている。それに店内にはこれでもかというほど気仙沼愛がいっぱいだ!
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やさしいくせに言葉がいつもぶっきらぼうな店主に、最後に気仙沼にメッセージを送るとしたら?と聞くと、すてきな笑顔でこう答えてくれた。
「アイラブ気仙沼に決まってっぺ!」
みなさん、今宵は楽しく笑える気仙沼ラブな場所「楽笑」に足を運んでみてはいかがでしょうか?
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施設概要